久しぶりにスープを作った話
先程家に帰ってきて、「あー」って思いながら床にぺったり座って、もっかい「あー」って言って飲むヨーグルトひと息に飲んだ。そのあとGET27を飲むヨーグルトで割ってこれもひと息に飲んで、「あー」って言った。 母方の実家がばたばたしているおかげで、近ごろ静岡と埼玉を行ったり来たりしているのだけれど、まあ自分にできるのはせいぜいがお手伝いとかお使いとかそういう次元のお話だけで、移動以外さしたることもしていない。そういう認識でいて、「まあわたしはたいへんじゃない」って思っていたら、ストレスみたいなものがぐわっと襲ってきて、肩とか頸とかがすごく凝ってる。 実家暮らしのお決まりの怠惰が突然殴りかかってきたせいで、もろもろに変調をきたす。 殴り返すには「家事スキル」とか、「なんか図太い精神」とかが必要だけれど、いま手にあるカードは中途半端なみどりいろのGET27だけで、これ大事だからがしゃーんしてこの中途半端な量を失うわけにいかないんですよね。 冷たいお弁当って、カップラーメンの百倍「たべもの」の顔をしてない。 半分も食べれなくって自信喪失した。 百年ぶりにキッチンに立って、玉ねぎ切ったりして、スープつくって飲んだらおいしかった。 料理って特殊技能なのに、なんか独学推奨っぽくて、できないとなんか微妙なリアクションをされるジャンルで、もちろんわたしは料理がいまいちできないわけだけど、「嫌い」って思ってしまう。それにしたって、冷たいお弁当のあのたべものっぽくなさ、「食べろ」という強制力のマイナスっぷりは、むしろ遠まわしに死ねと言っているんじゃないだろうかと思わせるものがあるような気がした。 ぬくぬくしているから、母親の手料理をありがたくもあたりまえに毎日食しているから、こそ思うけれど、手料理の「食べなさい」という力の強さは、ほかの食品の追随を許さないものがある。それが苦しいときがないわけではないけれど、その強迫によって生かされていると、突然放り出された時の所在なさ、心細さがもうびっくりするくらいで、これについてもなんだか「あー」ってなってしまう。 料理するひとはすごい。 残したら悪いなとか、そういうあらゆる愛情と遠慮と諦めをもろもろと含めて、(おいしいももちろんあるけれど)、手料理ってやっぱりただの具材とは思えない。わたしはひとりでいるとインスタント食品でずるずるずるずる生活しちゃ