創作と情熱と苦手と

こんばんは。
文学フリマで販売した短篇集「ドライ・メライ・ドーリーズ」の感想を何件かいただきまして、ありがとう、うれしい!と言って飛び跳ねたさしかありません。自分で買った本はまだ全然読めていないのですけれど、やはり読み終わったら、感想を送ろうと思っています。

実のところ本を読むのは大好きでも感想をまとめるのはとても苦手なので、小学生のあのね日記みたいになってしまうこと請け合いです。それでも、やはりこのような文芸同人をやるうえでのメリットと言ってはおかしいかもしれませんが、「仲間内でないところから感想をもらえる」というのはとても大切なことなのではないかと思います。


創作に関するあれやこれ、というのは「ドライ・メライ・ドーリーズ」の舞台裏とかそういう語りはしたくないというよりもないので置いておくとして、なんとなく、いろいろと思ったことをメモする程度のお話です。なお、創作理論のようなお勉強はしたことがありませんので、あしからず。


今回文学フリマに参加するにあたって、落山も筆名でのtwitter(@You_Ochiyama)をはじめたのですね。そして文学フリマ参加者周辺などをフォローさせていただいて、しばらく観察するとなんとも興味深かったです。詳しくは書きませんが、文学フリマというひとつの会場の中でも「文壇」じみたものがあり、それらの人々に評価されることを目標としているようなきらいがあるように見受けられます。何を思ってモノを書くかなんて人それぞれですから、批判するつもりは毛頭ありません。しかし、ガイドブックやそれに準ずるものに疑問を覚えたことは確かでした。

まあ、イベント自体のことはこんなもので。

落山の書き物についてですね。
このブログでもたびたび発言していますが、わたくしは自分の書いた作品が好きです。単純です。作品には特に深い目論見があるわけではないので、読みたいように読んでいただければ幸いです。

で、

次のイベント出展も、考えるわけです。春の文フリでは個人誌でなくてもまたちがう形の寄稿をする未定の予定があるのですが、それとは別にやはり、個人誌。また短篇集を出そうかな、とか、しかし今回の内容ときっと変わらないだろうなとか、そういうことです。必ずしも人を楽しませるために小説を書いているわけではないので、それに加えこれは同人活動であるし、と思うと、何となく、こう。ふーん、みたいな気持ちになることがあります。

変な話、自分は小説を書かなくても死なない、ということで。情熱をもって活動する人はとてもすきですし尊敬できます。だけど自分はそうではない、というギャップに、時どき苦しくなるときはあります。演劇をやっていた時期もそうで、集団の中で演じること戯曲を書くこと演出することを楽しみながらも、みなと同じ熱量をもって取り組むことはできない、ということ。演劇がすきではない、とかそういうわけではないんです。

ただ、自分は演劇がなくても死なない。小説を書かなくてもへっちゃら。何と言い表せばいいんでしょうね。読書が趣味で、ゲームも好きで、いわゆるオタクというコミュニティのなかにもいながら、ひとつのことに没頭して、捧げることができない苦しみがあります。創作はとてもすきです。美術系統の道に憧れながらもそちらへ進むことを決意できなかったのも、そういうひっかかりがありました。今もなお、今属する場所で、自分の身の置き所に悩み続けています。

これを語って何がしたいというわけではありませんが、なんとなく、熱意というものに敗北しつづけること、を、吐き出してみたかったのかもしれません。この記事はなんとなく恥ずかしくなって消してしまうかもしれませんね。

こんなやつの小説がおもしろいわけがない、と思うのは自由です。が、熱意のある創作が面白いわけでは決してない。いち読み手として、あるいは嫉妬する個人として、そんなことを言いたくなりました。情熱と本気と真剣とに支配された世界が苦手です。

ほんとうになんとなーく、創作アカウントだと、敗色濃厚すぎて、悔しくなってしまったので。
うーん、醜い!



落山 羊

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