再版報告とぼやき(うめき)


気がつけば十一月も十一日。

文学フリマは二十三日であるから、もう十二日後……?

十二日というのは二週間より短くはないだろうか。

 

 

先日、既刊『ドライ・メライ・ドーリーズ』の再版というか改訂版というかを入稿しました。体裁をかなりいじくったので本文頁数が変わり、118頁になりました。はじめての作品集だったので、見直したらすごく読みにくくて、びっくりしました。今回ので読みやすくなったと思います。
あらためて、はじめて出場したときにヲンブルペコネを見つけてくださったかた、いまも応援してくださるかた、とってもとっても感謝しております。うれしいよなあ、とじんわりしました。

そんなわけで二十三日の文フリ、ブースは【A-27】です。【A-27】!かべ!

 

◆新刊『ラプラスの新悲劇』……本文136頁、400円

◇既刊『うつくしき貌』……本文118頁、300円

◇改訂『ドライ・メライ・ドーリーズ』……本文118頁、300円

 以上、いずれも文庫判です。

◆無料配布作品数種類

 

という感じになると思います。三回目の文学フリマで三作品きちんと並べられてうれしいかぎりです。『ドライ・メライ・ドーリーズ』が欲しい~と伝えてくださったかた、ほんとうにありがとうございます。再版するのって結構悩んだのですが、いまはやってよかったなと思っています。まだ現物は、わたしも見ておりませんが。

加えて寄稿先が、

 

◆山猫文学会『E526 #4』ブース番号【F-31】

 ……「アンブレ・ラ・プソディ」を寄稿

◆ニライカナイ『ニライカナイ』ブース番号【B-16】……500円

 ……「パンゲアとゴンドワナの破局に際した鰐たちの運命」を寄稿

 

となっております~。当日まではしつこく宣伝させてくださいね。

 

 

いろいろ追い詰められて、やるべきことをこなしていくと、あらゆるリズムが崩れてうまく生活できなくなります。Twitterでも、変な時に寝たり起きたりしてしまうのですが、無論時間の運びそれ自体がへんになるわけでもないし、ただわたしだけがその軸からぽーんと放り出されてしまうのですね。完全にそうなることができないのは、世間のおかげというか、世間のせいというか。ひととのかかわりもなかなか煩わしくって、妙な態度ばかしとってしまうことについて、反省しています。

 

小説書きたい。

 

そう思っていたら、これまたTwitterで「散歩と遺体」なる企画がうごめいているのを見かけて、ふわっと参加表明をしてしまいました。発信がそにっくなーす様、進行が泉由良様である様子です。「散歩と遺体」と聞いて、なんだか栓をされていた頭の柔らかいところが決壊して、ぶわーといろいろ出てきています。書ける。

 

書きたいなら書けばいーじゃんって私も思うんですけれど、ぎりぎりしているとそうもいかないということも躰がよくわかっていて、やっぱりいつまでも根性論は通じないし、それでいいなと思いました。自分に対するハードルは低くしておいて、こうして言い訳と精神論を混同してノスタルジックな詭弁でもふるえるくらいが、おそらくちょうどよいようです。

複数のことに同時に、全霊で、注力したりできません。

わたしという器のなかの少ない砂をぱらぱら分けてって、なんとか重みを出したいのだけれど、それってやっぱり結構繊細なバランス感覚とか、なにかを棄てたり、恥をかいたりすることがつきもので、嫌な気持ちになることももちろんあるよねって。昔から、恥をかくのが、苦手で仕方なくて、恥をかくくらいなら死んでしまいたいと思うことばかりで、奇妙な方向にウネウネと伸びてしまった完璧主義と、同時に自分を許すための自己愛が絡みに絡んで毛糸玉、もう、とんでもなくなって。それを一条、一条ってほぐしていくことが目的なわけではないのですが、その毛糸でもって何かを編めたらいいなあとは思います。

 

いまは、なんだかなあ、かなしいなあと思ってブログを書いています。

Twitterは発信すると変なタイミングで「わたしも」とか言われてなんとなく、むっとすることもあるので、苦手です。特に誰を非難しようというわけではないです、ただ、そういうのが蔓延しててもよくないよねと思うので。発信した途端、自分がもぎ取られていくのが、ただこわいだけなんです。そんなこと気にするなんて弱いのネと思われようが、こわいものはこわい。

 

わたしはわたしのものなので、とらないでくださいってよく思います。そのうえでわたしという存在を外部から作り上げられるのは快感なので、なんだかおもしろいですよね。落山羊という人間が、どんな風にだれかのなかに存在しうるのかって、わたし自身がどう在るかよりぜんぜん、コンテンツとしての力があると思うんです。

なんとなく、そういうことを望んだり面白がるからこそ、Twitterで自分から発信するのは苦手になったような気がします。よくわかんないひと、くらいに思われていてちょうどいいです。ブログは例外というか、なんだろう。どちらかといえば自分のために書いているようなところがあるし、読んだひとのリアクションや話題の波及を目の当たりにしなくて済むので、気が楽なのでしょう。

 

 

いやもう、恥なんてかき通しなんですけどね。

いつだって理想ばっかりで、口ばっかりで、実力が伴なわないことばっかりで、小人物だなあとしみじみしてしまう。恥かくのが嫌で、嫌で、はった見栄がたまに本当になったりしたときは、嬉しかったりするんですけれど。でもそこからはじまった本当なんて結局身の丈には合わなくてもっと辛かったりして、なにしてるんだろうって、わからなくなってしまったりもするし。

みっともなく誰かを羨ましがったりばかりしているうちに、年齢だって重ねていて、成長していないことの絶望感だけ重くなっていったり、努力したことの少なさにひとりでいても恥ずかしくなることがいっぱいある。でも結局のろのろ小説を書いたり、読んだり、ゲームしたり、映画観たりして、なんとなくフラフラしながらも生きながらえているし、決定的にだめになることもできないまま器用貧乏というか、半端な経歴で半自動的に進むのだろうなとそういうふうにぼんやりしています。

悲観的とかじゃなくて、かくあるものなのだろうと、そうならそれでいい、というような感じに。……どこかでボンと落ちてしまうかもしれないけれど。

時間は勝手に進んじゃうし、わたしの肉体だってどんどん経年劣化していくし。若くとも。

あーあ。

息抜きにブログ書こうとおもって、なんだかいつも以上にみじめな風になってしまいました。

芸風と言えるまでに昇華させたいですね。

 

この前素敵な靴を買ったので、文フリへはいていきたいです。

ブースにはいっぱいいろんなひとが遊びに来てくれたらいいなって思います。

近ごろ夢見がとっても悪い。

 

 

 

落山 羊

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